初恋。

自分の人生はいつも前向きに生きて来れたなあと思います。

両親や周りの人が良い方ばかりだったのでノー天気な性格が続いてしまったのでしょう。

感謝いがいの言葉は見つかりませんね。

 

さて、中学の頃私はバスケットボール部で夢中になって練習していました。

当時のバスケ部はというより体育会系は全部上下関係が厳しくて朝練は勿論、終業後も下級生はすっ飛んで体育館に行って、雑巾掛け、あの体育館のハジからはじまで一列にならんであの普通の雑巾で拭いていくんです。もちろん一年の仕事。

体育館が使えないときは校庭にあるリングのある設備を指定の場所に動かす、結構重いんですが毎日同じ事の繰り返し。顧問の白石先生は当時としては珍しく優しい先生でしたね。

一年坊主からみたら3年生なんでもう、怖いおじさんにしか見えなかったですね。

特に私は身体は痩せの弱虫でしたから、先輩からすればあまりにも情けないのですぐにやめて来なくなったらまずいのでやさしくしてくれたような気がします。

腕立て伏せ100回は当たり前。うさぎ跳び校庭2周、ひとりが出来ないと全体責任でまた校庭2周、さらにペナルティで先輩からの愛あるけつバット。痛いけど我慢。

荒井部長はがっしりした身体で背は高くないのにバネがあり相手に対する圧力がすごかったです。

ちょうど私が中学一年の時東京オリンピックがありました。当時の板橋区志村の中山道では聖火リレーがあり大変な人混みのなか応援した記憶があります。

荒井先輩は当時の学校代表として他の中学の生徒を従えて聖火を持って先頭で走り抜けていきました。

たくましくかっこよかったです。

佐藤先輩は背が高く、俊敏で試合の時は本当にパフォーマンスが素晴らしく目立っていましたがプライベートではひょうきんで軽くてスラムダンクの主人公のような感じでした。他にも色々先輩はいましたがこの2人は本当に優しく指導してくれましたね。

 

一年の2学期後半になると3年生が受験で引退していきます。そして私たち一年の新人戦が始まります。

直井、身体もがっしりして性格は温厚皆んなのまとめ役で試合の時もそれ以外も頼りになりましたね。

杉田、川上、鎌田、高橋、私、田中、

新人戦板橋区で準優勝でした。

7人しかいないのに強かったし、団結力があったんでしょう。

何十校あったかはわかりませんが、強かったし目立っていたようです。

その中で、身体はガリガリで白く頼りない存在の私、全然もてませんでした。

当時は背もまだ小さかったので、当時速攻とかいって、敵のボールをとったらすぐに走る、リバウンドを誰か味方がとる前に私は走る。ボールが飛んでくるそしてシュートする。速攻は板橋区立志村第二中学校の武器になりました。

ただ、相手もわかっていますから私のシュートは3回に2回は阻まれました。

つまり、背の高いのがぶつかってくるわけです。私はシュートしながら転げ回るわけです。

怪我しないのが不思議なくらいです。

私は情けないのにうさぎ跳びも腕立て伏せもそれなりにこなしました。

試合の時も試合感覚が良かったのか突き指や捻挫は当たり前ですが大きな怪我にはあいませんでした。

続く。