今年の夏は母の三回忌でした。最初は簡単にと考えていましたが、いざとなったら、結局24人になってしまいました。お金はかかりましたが、大変良かったと思います。やっぱり家族が集まる、食事をする事など最近では中々難しいことですので、母の力を借りて皆んなが集まってワイワイする。大事なんだと思います。私の家族、姉の家族、弟の家族が集まるなんで素敵だなと感じました。母の力は偉大だな。

これからもずっと出来たら嬉しいんだけど皆んなドンドン変わっていきますので、今年は無理して良かった。つくづく感じる日々を過ごしています。

孫と遊ぶ

私には6人の孫がいます。

どうしてそうなったのかは子供が3人いて、男既婚、男独身、女既婚、ですから長男には3人の子供、それも女の子ばかり、そして長女にも3人の子供。女、女、そして男の子4歳です。

 

私の親父は若くしてなくなりました。54歳です。私が26歳の時です。子供の顔、親父にとっては孫の顔をみることなく死んでしまいました。姉は結婚して巣鴨にいましたので孫(外孫ですが、)見せる事ができましたが、。

6人の孫、はどうでしょう。

当たり前といえば当たり前なんですが、長男夫婦とは元々同居でしたから3人の孫も当然同居です。

また、娘は浅草の方に嫁いで行きましたので、離れて暮らしていましたが、諸々の事情で私の家の近くに引っ越してきました。

もう五年前になります。

だからいつでも6人と接することができます。

嬉しいやらとはよく言ったもので結構大変なんです。

 

結婚記念日

ついに44年になりました。来年にはサファイア婚、6年後には金婚式を迎えることになりますね。それまで智子さんと私、元気でいけるでしょうか。元気だったらお互い73歳かな。優太が45歳、陽介は41歳、里恵は46歳、シイナが19歳、リタは15歳、イノリは14歳、千尋は37歳、剛史は35歳か。梨音は15歳、梨凛は13歳、なんと梨月くんが10歳、4年生になってるぞー。頑張らないとぬ。

智子さん、これからもわがままですが、よろしくお願いいたします。

ユニバーサルスタジオジャパンはいきたいね。

 

ブログを書いてわかった事。

まず自分が今どんなことを考えているか。

また、これから先どのように生きていくか。

自分の今までの軌跡を振り返ってみて確かめるとても良い機会になった事です。

 

世界は、いまとても流動的な事象が毎日どこかで起こっています。そしてそれをすぐにネットで知ることができるようになりました。

たとえ興味のないことや知りたくない見たくない事象も知ることになります。

暴力やイジメの現場を動画撮影してユーチューブにアップします。

アルバイト店員が店内で悪ふざけをした様子をやはり動画で見ることもできます。

多分私だけではないと思いますが、

小学生低学年の子供が、ユーチューブでパソコンや携帯などで気軽にリカちゃんやアンパンマンの人形を使った動画を夢中になってみています。

女性の裏声でリカちゃんの声やドキンちゃんの声を作った動画を笑いながら見ている姿はなぜか異様な雰囲気を醸し出しています。

なにかが違う。

ユーチューバーの先駆者たちはそれなりに苦労して今に至るわけですが、ビルゲイツや孫さんや三木谷さんの苦労とどうしても違和感を禁じ得ません。

わたしも古い体質の人間ですから、どうしてもこれからA Iの時代といわれて人間の社会が良くなっていくようには考えられません。

特に最近孫たちをみて強く危機感を感じているのはわたしだけではないように思います。

戦争のない地球がやって来る日はあるのでしょうか。

目に見える格差、目に見えない格差。

わたしたちがよそ見をしているうちに憲法が改正され、子供や孫たちが徴兵制の名のもとに戦争へとかりだされる時代がすぐそこまで来ているようなきな臭い匂いがしてならないと強く感じてしまう毎日です。

昔の話。

最近の社会の様子を見るにつけ、なんだか違うなあと感じてしまうことが多くなりました。例えば、私が家族に対して昔の話をしようとします。実際にはみんな忙しくて感心がないどころか毎日のあれこれで精一杯なので聞いていられないのが現状ではないでしょうか。

 

まどろっこしくてすみません。私の父は私が26歳の時に亡くなりました。54歳でした。私が26歳ですからなんだかあっという間に居なくなってしまった感じなんですね。だから親父さんが小さい頃はどうだったのか、母との出会い。結婚。そして私を産み育てる。全然知らないわけです。母は一昨年まで89歳まで生きていましたので短編でちょこちょこ聞いていましたが、いっぱいわからないわけです。

そして母も最近亡くなり、昔の話をしてくれる人がいなくなってしまいました。

 

歴史的なことをした人物は教科書にもなんでも文献を調べて書物に残っていますからやれ徳川だ、豊臣だと語ることができますが、本当の自分の身内のそれも親の歴史の一端も分からなければ私が孫たちにルーツを語ることもできません。

最近のテレビでは東日本大震災の話題がよく取り上げられています。

家族が離れ離れになり安否の分からない身内の帰りをずーっと待っている夫や妻娘や親御さん。苦しくなる場面が続きます。

 

わたしにも家族がいます。誠実に生きてきたわたしの話をしようと努力して行きたいと考えています。

 

ぜひ、皆さんも少しでも近くのお婆ちゃんやお爺ちゃんの話を聞くだけ聞いてあげてほしいです。有名な偉い方の講演を聞くことも良いと思いますが、むしろ私は身近な人の歴史をつついてあげて聞いてほしいです。

目からウロコの歴史が必ず聴けます。ぜひとも今日からやってみてください。

私もどんどん昔の話を書いていきます。

時代はどんどん動いていきますが、やはりそういう時にはどうしたのかしら。ジィジに聞いてみようと優しく言ってくれる孫が必ず出てきます。

前向きに楽しく書いていきます。

難しいね。

約1カ月は頑張って書いていましたが、仕事が忙しくなるとどうしても疲れてブログに目を向けている時間がなくなってしまいます。

 

どうしても今、直面している問題に向かっていかないと解決できないので、必死になって真正面からぶつかっていかなければなりません。

現実はそう甘くありません。

ただし、仕事を辞めてしまっていたら頭の中がどんどん白くなっていき、しまいには認知症が進んでしまう可能性が大なような気がします。あくまでも自分自身の問題であり他の方には関係がないわけですが、仕事を続ける言い訳かもしれません。

建築の仕事は面白いし、深いです。

兎に角お客様がいる事ですから、99パーセント大変なんです。気を使って気を使って気を使っております。

残りの、1パーセントが小さな喜びになります。

わかる方にはわかるんですが、

営業はうじうじしていて、いつまでも、引きずってしまう性格の人間でないと勤まりません。

どうしよう、困ったなあ、また怒られた。会社に対する言い訳をどうしようか。お客様にどうやってわかってもらえるか。嫌だなあ。行きたくないなあ。でもいかないと怒られるしなあ。くよくよ、ばかりしている方は長く続けることができます。私の長い営業生活の本当の本質がそこにあります。

結果がすぐに出ないし、シツコイくらいでないとダメです。

 

50年近く営業を続けてきた長い長い活動の結論です。

続ける。

先生の名前の続き。

前回話しましたが、わたしはサンタクロースが大好きです。だから必死になってサンタ存在説を曲げずに子供や孫たちにもその感覚を持ち続けてもらいたいと頑張っているのかも知れません。

保育園の先生はみんな優しかったし、明るかったと思います。

男はほとんど坊主か坊ちゃん刈り、半ズボン。

女の子はやはりおかっぱ頭でした。

当時は戦後間もない頃でしたから物資があまりなかった時代でしたし、お米は確か配給でしたね。

なのにこの保育園は、ちゃんとした牛乳だし、給食のオカズもパンもすごく美味しかったと子供心に覚えています。

毎月のように何らかのイベントが催され、お誕生日会やおゆうぎ会、運動会や遠足もありました。

また、大きなホールがあり、そこは吹き抜けになっていてツリーをかざったり合唱祭があったりゲストがきてなにかを話したり、朗読したりがざりもアメリカ的で、私はクリスマス会のサンタクロースに夢中になってしまってそれ以来クリスマスが大好きになりました。

 

小学校は板橋区志村第二小学校入学。一年担任長谷川先生(男性)優しかったなあ。

二年兼子先生(女性)厳しかったなあ。

三年四年五年六年全部福山暁先生でした。ずいぶん前になくなりましたが、恩師でした。でも怖かった先生の代名詞みたいな方でした。

六年1組福山先生、2組兼子先生、3組篠原先生(男性)、4組生田先生(女性)。よく覚えていました。山崎健二くん。田中秋夫くん、黄海裕司くん、高畑くん、佐藤常雄くん。佐藤くんはガタイがでかく私にとってはドラえもんジャイアンのような存在でしたが、よく私を守ってくれました。頼り甲斐のある兄貴見たいな同級生でした。

続く。