大島ツアー

まだ子供ができる前だから25〜6歳だったと思います。

劇団前進座という吉祥寺にある大きな劇団の全国公演に客演として参加することになりました。やはり2カ月位だったと思います。しのだつまー狐の話でした。その話はまたの機会にするとして、公演が終わったある日、結構な金額のギャラがでたんですね。年末でしたから、いつもピーピー言っていた財布のなかが少しだけ暖かくなったんです。

女房(偉そうに)に聞いたら、貯金だとか借金返済だとか言われると思っていたら、正月に船で大島に行き初日の出を見たい。とおっしゃるじゃないですか。

お袋さんも行こう行こうと言うことで、読売旅行の初日の出ツアーの予約をし、正月明けて竹芝桟橋から出発です。

寒い暑いの記憶は感覚的に忘れてたしまうんですね。

東海汽船のカトレア丸かその前のなんだか丸でした。思い出せないね。高校時代には仲間で伊豆七島式根島と言う小さな島に何回か行ったことがありましたね。

ツアーですので旗のお姉さんの指示通りドンドン地下つまり船底の方に降りていくわけです。

畳敷の二等船室に溢れんばかりのツアー客が今日寝るための陣地争いを繰り広げようやく私たちも場所を確保しました。3人だし大人だけですから狭い空間でもなんとかねられることができました。ただし外海に出ると揺れてきました。兎に角寝たもん勝ちですから、みんな22時の出航の時には半分くらいの客は寝ているか静かでした。たまたま隣に一人でツアーにきていた当時60代位の優しい感じのおじさんが話しかけてきました。

元々母は明るくて元気、そして人なつこいしおしゃべりだから翌朝船が大島につくころには親戚のおじさんみたいに親しくなっていましたね。

おじさんはわたしの顔をジロジロみてから、静かに笑い出すんですね。あんたは真面目でいいんだけと、働いても全然お金がたまんないよ。

また笑う。どうも占いができるみたいで人相をみていたらしい。

耳たぶが大きく内側に曲がっているとお金が逃げていかないんだよ。

あんたの耳たぶはしたにストンとさがってるだろ?だからお金が落ちちゃうんだよ。

母も女房も大笑い。まいりました。

大島につき、それぞれが民宿や旅館に振り分けられ、わたしたち3人は民宿にお世話になることになりました。

襖一枚で隔てられた部屋は八畳間、客はわたしたちだけ。

カチカチのとんかつ、千切りというかバサバサなキャベツ。色の濃い?の刺身。よくわからない佃煮。大島名産の?のおひたし。

部屋で食事をしていると、民宿の女将さんの怒鳴り声。マサおー、、。ともこー。さちこー!

その家の子供の名前でした。わたしがマサオ。女房が智子、そしてさちこは母の名前。翌朝民宿を出るまで、わたしたちは何となく小さくなっていましたね。怒鳴られかも知れませんから。

餅つきがあり。ご来光はみたかな位。

でも三原山は活火山ですからすごかった記憶があります。

智子さんは馬で外輪山をパカパカと回るコースを選びました。まだ子供がいなかった頃の話ですが子供ができる前の最後の家族旅行だったのかも知れません。

 

続く