那智の滝2

確か夜親父の住んでいたアパートに行って片付けを済ませて、といっても何にもなかったようでゴミをまとめて、また、押入れに入っていた大量の一升瓶。10本以上はあったかな。さらに夜帰りに駅前の店で、のり巻きとお稲荷さんのセットを買って晩飯がわりにしていたと思われる大量の包装紙にプラスチックの箱、親父は確か42歳か43歳で、バリバリの会社人間でしたから、はじめての土地大阪で羽根を伸ばしていたんじゃなくてストレス発散の場がないからアパートに帰って酒を飲んで解消していたんだとおもいます。

病名は軽い心筋梗塞に心臓肥大、階段を上ろうとして動けなくなり即入院だったようです。

転勤先の6畳!のアパート。辛かったと感じます。

私はついて行っただけですから比較的暇なんですね。

その日も、昼間親父のいた会社に挨拶して帰って寝るだけの状態でした。

お袋さんが急に、(ねえまさお!那智の滝行って見ない?)というんですね。

私は名前も場所も全然知りませんから、いいよ。行こう。と言っちゃいましたが、結構夜行列車は大変でした。

後で聞いたら、折角だから計画していたんだと話してくれました。お袋さんの好奇心や行動力はなくなる前まで衰えていませんでしたね。こうと決めたら即座に行動する。

天王寺駅だか、難波駅だか忘れましたが和歌山県の白浜か串本行きの夜行列車が10時ごろからあるんでした。

お袋さんは何故だか切符を買ってあったようですぐに夜のプラットホームに待っている列車に乗り込みました。お菓子や駅弁、お茶が売店にありましたので買い込んで乗りました。

そんなに混んでる様子はなかったですね。

寝台車ではなく急行でしたからボックスに座ってただジッとしているのは初めてだから疲れましたね。当時私が16か17歳、お袋さんは38か39歳くらいでした。昭和42年か43年。

1967年オリンピックから3年位経った頃でした。

二人でうとうとしていると、なんだか遠くの方で雨の音が聞こえるんですね。まだ明け方まえで外は真っ暗でした。

そうこうしているうちに目的地に到着。

確か那智という駅だったと記憶していますが違ったらごめんなさい。

駅はほとんど人気がなく静かでした。朝5時ぐらいですから当然です。

ホームに着いても、ザザッという音が聞こえるんですね。でも雨も降っていないし、なんだか違うんですが暗いので全然わからないんです。

だんだんと夜明けが近づいてきて周りがぼんやり見えるようになってもうお袋さんとびっくり感動しました。なんと、ホームの目の前が海だったんです。ザザッという音は潮騒の音、波の音だったんです。

みるみるうちに周りの景色が明るくなり、太平洋の大海原がはっきり見えるようになりました。

5時30分出発の那智の滝行きバスに乗り込み、といっても始発ですので私たち2人ともう1組のカップルだけでした。

那智の滝は山の上の方にありますので、日光のいろは坂まではいきませんが結構カーブがすごいんです。その度にに私たちは右に振られ左に振られて手摺に必死にしがみついていました。

ある程度の高さにいったらバスがゆっくり走るんですね。運転手さんが左を見てください。と、なんと、大海原から朝日が昇ってきました。眩しいし、綺麗だし、またまた感動、大感動です。

バスは少し止まってくれました。綺麗だったなあ。

そして那智の滝。いうまでもなく自然のすばらしさを存分に味わえる最高の瞬間でした。

お袋さんとはもういけませんが出来ればもう一度行ってみたいと思います。

やはり季節は3月がいいようです。

だって夜行列車が着いた時は周りが真っ暗じゃないとご来光は見られませんから。

おわり